「魔女さが新規」から見た、瀬川おんぷちゃんという存在
名作には、葛藤や対立する概念が描かれている。
おジャ魔女どれみにおいて、その役目を担ってるのはおんぷちゃんだと思う。どれみちゃんという存在に対して、対になる存在として描かれてる瀬川おんぷちゃん。おジャ魔女どれみをおもしろくしたのはおんぷちゃんだ、と言っても過言ではないと思う。
「魔女見習いをさがして」でファンになったド新規ニワカのぼくから見た、おんぷちゃんについて書きたいと思います。
おんぷちゃんとのファーストコンタクト
ぼくがおんぷちゃんを初めて認識したのは、映画「魔女見習いをさがして」で、思ったことをズバズバ言うミレさんに対して「おんぷちゃんみたいですね」とソラさんとレイカちゃんが言ったとき。
3人の頭上に浮かんだおんぷちゃんの「てへっ♪」が初対面でした。
公式LINEスタンプより
今から考えてみると、オープニングのシルエットにおんぷちゃんはしっかりと描かれているのだけど、そのときはまだわかってなかったんですね。
映画のストーリーが進んでいくと、おんぷちゃん推しの青年が現れる。近鉄電車で相席になったときのシーン。
「おんぷちゃん、好きなんですか?」
「だからぁ〜おんぷちゃん♪」
は、いい意味で夏菜子っぽさがあって今でも脳内再生余裕。好きなシーンなんですよね。
「今はおんぷちゃんひとすじです!」
「男子は全員おんぷちゃん推しですから!」
それからこんな感じのセリフが続く。おジャ魔女どれみを知らなかったぼくは「なるほど、おんぷちゃんってのはそーゆー感じのキャラなんかな?」と思った。男性人気が高い、いわゆるあざとい感じのキャラなんかな、と。
終わらない物語とおんぷちゃん
そして映画のエンディング。
流れる「終わらない物語」にすこぶる涙し、これを歌ってるのが"おんぷちゃん"であることを知って少々驚く。
今も書きながら聴いてる終わらない物語
いや、主人公のどれみちゃんじゃないんだ…って。映画のエンディングという大役を果たすのが、おんぷちゃんなんだ、と。
ソラ、ミレ、レイカの推しのキャラクターが順にどれみちゃん、はづきちゃん、あいちゃんだったこと。
おぼろげに記憶にある、娘が見ていたおジャ魔女どれみは、確かその3人が中心だったから、この時点でぼくの認識は"おんぷちゃんとは準主役"みたいな位置付けだったんですね。
なぜ、おんぷちゃんが映画のエンディングを任されるのだろう?それほどまでのキャラなんかな?単にかわいいキャラで、男性人気があるってだけではないのかな?そんな興味が湧いた。これがおんぷちゃんとのファーストコンタクトです。
アニメを見始めてからのおんぷちゃん
帰宅後、アニメを見始める。4年間で201話らしいから、これは見るのが大変だぞ…と、思いながらも、映画が本当によかったので、なんとか完走しようという気持ちでコツコツ見てました。
35話で、ようやくおんぷちゃん登場!これが2度目の出会い、と言いたいところだけど、実はそれまでに映画を3回見ていたので、どうカウントしていいかはちょっと不明(笑)
3回見たと言っても同じ映画なので、印象はそれほど変わってはないのだけど…オープニングのシルエットでホウキに横座りで乗ってるのが2人いて、その1人がおんぷちゃんであることには気づいてた。
さらには、走ってるシーンのシルエットになってる手の角度が女の子らしい。
なるほど、やっぱりおんぷちゃんはあざとい感じのキャラなんだな、そう思ってた。
転校生は魔女見習い!?を見る
そして35話を見る。
なるほど。ライバル的な立ち位置での登場なわけね。ちょっとダークな感じではあるけど、チャイドル設定で、そりゃ男子に人気出るわけだよな、と納得。
しばらく見ているとあることに気づく。なるほど、おんぷちゃんはどれみちゃんの対にあるキャラクターとして描かれてるんだな、と。
魔女になるための試験では、落ちこぼれのどれみちゃんに対して、飛び級で合格する天才肌のおんぷちゃん。
憧れた男の子と、ことごとくうまくいかないどれみちゃんに対して、クラスの男子全員から人気のおんぷちゃん。
そして何より、魔法の使い方ね。
どれみちゃんが人のために魔法を使うのに対して、おんぷちゃんは自分のために使うというところ。
なるほど、おんぷちゃんというのは、作品の中で主人公のどれみちゃんと対になる存在として描かれてるわけか。
はづきちゃん、あいちゃんもそれぞれの魅力があって、どちらも余裕で1本ブログ書けるくらい好きなんだけど、おんぷちゃんが出てくることでストーリーに厚みが増したと思う。
やはり、対立するキャラクターの存在は受け手にいろんなことを考えさせる。対立といっても、嫌なキャラクターに写らないのがおジャ魔女どれみの好きなところなんだけどね。
「おんぷちゃんって自己中だよねー」
「いやいや、でも小学3年生ならあれが普通じゃない?」
「禁断魔法とかダメだよ!」
「でもお守りがあるから大丈夫じゃん」
「そういう問題じゃないよ!」
楽しいが中心だったおジャ魔女どれみの世界に、こんな風な語りシロ(想像です)が一気にできた感じ。おんぷちゃんという存在を通じて、どれみちゃんたちが大事に思ってるものが浮き彫りになる感じになったな、と思った。
「自分のために魔法を使っちゃダメだよ!」に対して、「なんで?」がないとただの説教になってしまうわけですね。おんぷちゃんのおかげでどれみちゃんとのやり取りの中で受け手が自然と考えれる形になったと思うんです。
MAHO堂の正式メンバーとなったおんぷちゃん
1期が終わり、まぁ本当はこのラストシーンだけでもおんぷちゃんについて書きたいことはたくさんあるんだけど、今回は割愛して…2期以降でおんぷちゃんは正式にMAHO堂のメンバーとなる。その後のおんぷちゃんを見ていると、あることに気づく。
どれみちゃんの対になるキャラクターとして描かれてるおんぷちゃんに、もうひとつ見えてくる重要な対となるものがあったのだ。
それが、どれみちゃんが表で動くのに対し、おんぷちゃんは影で動く。そう、おんぷちゃんはシリーズを通じてフォロー役に回るシーンが本当に優れているなと思うんですよ。
ももこのママ修行
印象に残ってるのをあげると、3期32話の「ももこのママ修行」とかね。
3期から仲間に加わったももちゃんがハナちゃんのママになりたい!と空回りしながらも奮闘するエピソードなんだけど、あるミスでハナちゃんがお腹を壊してしまうというシーンがある。
そこで、あいちゃんに怒られてももちゃんは逃げ出してしまうんだけど…ここですかさずフォローに動いたのがおんぷちゃんなんですよね。
みんなで!メリークリスマス
さらにさらに!これはもうおんぷちゃんフォローエピソードの代表格といっても全員が納得すると思うんですが、同じく3期45話の「みんなで!メリークリスマス」ね。
不登校の長門かよこちゃんがついに学校に行くということで知られる感動の神エピソードなんだけど、どれみちゃんがいかんなく主人公としてのパワーを発揮してる裏で、密かにかよこちゃんのフォローに回ってるのがおんぷちゃんなんですよ。
保健室でのかよこちゃんと話すシーンね。あれば本当にいいシーンだよね…
そう、関先生は「長門が学校に来れたのは春風のおかげだと思ってる」って言ってて、もうまさにその通りなんだけど、実はおんぷちゃんも人知れずいい働きをしてるんですよ!
こんな風に、ドジと天才肌…のような単純な正反対としての"対"ではなく、同じ「やさしさ」というベクトルの中での解決方法が"対"になってる、というのがおんぷちゃんの魅力で、これこそが映画のエンディングを任されるほどの魅力になってるんだなぁと思うんですよ。
卒業式でのおんぷちゃん
最後に、おんぷちゃんは卒業式のシーンでどれみちゃんにこう言いましたよね。
「どれみちゃんがいなかったら、わたし…嫌なアイドルになってたかもしれない!」
このシーンが象徴するように、おジャ魔女どれみのクチコミを見てると「おんぷちゃん、初期と比べて変わったよね」って声が多くある。
この卒業式の言葉を見ると、おんぷちゃん自身もどれみちゃんに影響を受けて変わってるということが明らかにわかる。
ただ、ぼくは思ってしまう。おんぷちゃんは本当に変わったのだろうか?と。
もちろん変わってはいるんだけど、どうも見ているとおんぷちゃんらしさは何も変わってないと思わせるシーンがたくさんある。
そう、つまりおんぷちゃんは自分は変えずに、「大切にするもの」だけを変えたのではないかな?と思うんですね。
これうまく伝えれるかわからないんですけど、まぁそれ以前にただのぼくの想像でしかないんだけど…おんぷちゃんはどれみちゃんに会って「友達っていいな」って思った、それだけだと思うんですよ。
これね、聞けばなんだか当たり前のように聞こえるかもしれないけど、めちゃくちゃ難しいことだと思うんですよ。多くの人は、何かに影響を受けると「今の自分ではダメだ!」と自己否定して、自分を変えようとするじゃないですか。
それこそおんぷちゃんのように自己中な子が、どれみちゃんを見て「いいなぁ」と思ったら、自己中を捨てようとすると思うんですね。自己中を直さなければ、わたしは愛されない!的な。
でも、おんぷちゃんはそこは何ひとつ変わらなかった。おんぷちゃんは初登場時から、気高く、努力家で、弱さを見せない。卒業式直前に、ひとりひとりがどれみちゃんと別の道を行くことに葛藤するエピソードが描かれたけど、おんぷちゃんだけそれがなかった。
ファンはそれがさみしいのかも知れないけど、ぼくは逆に「描かれないことで、おんぷちゃんの意志の強さ」を見た気がした。
でも、それが決して友達を思ってないということではないのだ。そんな感じのことが言いたいんだけど伝わるかな。
どれみちゃんと"対"のままで、おんぷちゃんは友達を大事にした。
他の誰かになるんじゃなく、自分のままで結果だけ変えてしまった。
おんぷちゃんがおジャ魔女どれみのストーリーに深い思想性を与えてくれたのは間違いないと思う。
もうね、そんなおんぷちゃんの魅力を知ってしまい、ただのあざとくてかわいいキャラなのかな?と思ってた自分の愚かさに笑ってしまうのと、そういう期待の超え方がおジャ魔女どれみはズルいなぁと思うのです。
💝瀬川おんぷちゃん💜
— おんぷちゃんお誕生日おめでとう🎉💜宍戸留美💜🐘✨🎙🏉 (@RumiShishido) 2021年3月3日
お誕生日おめでとう🎉🎂🎊🎁#おジャ魔女どれみ#doremi20th#魔女見習いをさがして#拡散希望 pic.twitter.com/4O3cnVJvMv
Happy birthday
— 馬越嘉彦 (@ushimou730) 2021年3月3日
おんぷ。
#瀬川おんぷ誕生祭2021#おジャ魔女どれみ pic.twitter.com/DPSOVsQEBI
おんぷちゃん、誕生日おめでとう!
#細かすぎて伝わらないおジャ魔女どれみのここが好き選手権 がすばらしすぎる
先週月曜日、目覚めるとTwitterがキラキラと輝いてた。いつもと変わらないはずなのに。
なぜか?そう、答えは簡単。タイムラインに流れてきたすばらしいハッシュタグのおかげで、僕の世界は一変したのだ!
そのハッシュタグこそは…
#細かすぎて伝わらないおジャ魔女どれみのここが好き選手権
いやぁ、これを見るのが本当に楽しすぎて。
ホラ、ぼくって「魔女見習いをさがして」新規だから、まだまだおジャ魔女どれみについて語りたい盛りなんすよ!
いろんな人の感想も聞きたいし、それについて自分の考えも話したりしたい。(つまりおジャ魔女どれみを語り合いたい)
けど、ブログとかも今やあまり更新してる人って少なくて、数少ない見つけたブログを密かに毎日見に行っては「更新されてないか〜」という日々を過ごしてます。
そこへこのタグですよ。もうホント見るのが楽しくて。
タグがタグだけにけっこーマニアックなのが多くて。「わかる!」ってのもあれば、「え!これどこだろ?」ってのもあって。とにかく今週はTwitterが楽しすぎた。
たぶん、今まででいちばん楽しかったと言っても過言ではないと思う。なんかTwitterってコレだよね!って思った。
共感する切り口もたくさんあったんだけど、中でも「うわーわーそれそれ!」ってなったのがあったのでひとつ紹介させてもらいたい。
夕陽と水辺と。#細かすぎて伝わらないおジャ魔女どれみのここが好き選手権 pic.twitter.com/LzY0kQ8i9o
— c1 (@c170904919) 2021年2月27日
それがこちら。夕陽と水辺の美しさ。
これね〜マジで好きなんですよ、わかりまくる…
そもそもぼくは川とか海とか、水が流れる景色がとにかく好きなんですね。光を受けてキラキラ輝くのを見ると、ずっと見入ってしまうし、なんだか気分がとても落ち着くのです。
そこに夕陽でも重なった日には…もうね、ホント大袈裟でなく「この地球に生まれてよかった」って思ってしまうんですよ。
同時に、たまらなくせつない気持ちもわいてくる。小沢健二の「ぼくらが旅に出る理由」で歌われてるまんまの気持ちなわけですよ。
美しい星におとずれた夕暮れ時の瞬間
せつなくてせつなくて胸が痛むほど
この部分ね。まぁ唐突にオザケンの歌詞をぶち込んでしまったけど、実はぼくはオザケンの世界観とおジャ魔女どれみってすごく近いと思ってるんですね。(まぁこの話はまた別の機会に…)同じこと感じてる人、いないかなぁ…
とにかく!今言いたいのはおジャ魔女どれみの夕暮れと水辺のシーンの描写はすばらしい。
ツイートした方も「涙の描写が水や光のきらめきにおきかえられてるシーンと共通するものがある」と仰ってて、ああほんとそれわかるなぁと首がもげるほどうなづいてたわけです。
ちなみに、「魔女見習いをさがして」で好きなシーンはたくさんあるんだけど、単純に絵だけでワンカット選べと言われたらここです。
渡月橋でソラさんが勇気を出して告白するシーン。
ここ、ほんと綺麗ですよね。キャラクターの心理描写が、こんなふうに水や光のきらめきにおきかえられて伝わってくる。(ツイ主さんが言ってたまんま)
これがめちゃくちゃ好きなところなんです。
一方で、不登校の長門かよこちゃんがいちばんはじめに学校に行こうとしたとき、学校が見えて思わず逃げ出してしまったシーンがあったじゃないですか。あそこ、駆け出していくその向こうに海がキラキラ輝いてるのが見えるカットがあるんですね。
これに関しては、こんな解釈をしてる。
どれだけぼくらがつらくて、どん底の気分を味わってるときも、自然はいつも雄大で、包み込んでくれるような包容力がある、と。
あんな厳しいシーンでも、海は変わらず美しい。ものすごく大変な問題だけど、大丈夫だよって言ってくれてるような。それって救いだと思うんですね。
いや、ほんと水辺はいいですよ、水辺は…
こんな風に、共感できるツイートや発見がたくさん。毎日見るのが本当に楽しい。
#細かすぎて伝わらないおジャ魔女どれみのここが好き選手権
いつまでも盛り上がってほしいな〜と思わずにはいられない。盛り上がってくださいね、少なくとも僕は必ず全部見てますよ…
DANCE!おジャ魔女に込められたメッセージを考察する
こんばんは。
おジャ魔女どれみプチ感謝祭のアーカイブが終わってしまって、ひと息ついた感あります。あ、完全にぼく自身の気持ちの話です(笑)
アーカイブ、何度も見たけど本当によかった。円盤化してほしい思いは募るばかりです。
そうそう、嬉しいことがありました。感謝祭について書いた感想を、ララ役の高村さんに引用ツイートしてもらった!
な…ララ役の高村さんが感想記事読んで下さるなんて…!娘に自慢します(笑)
— わいざん|くっすんガレージMGR (@yzan_travel) 2021年2月14日
ありがとうございます!#どれみ感謝祭 #おジャ魔女どれみ https://t.co/odP3zokYbd
こんな風に感動を直接ご本人に伝えることができるのもSNSやブログの魅力。見てもらえてるんだなぁと思うと嬉しくなりますね。
さて、というわけで今日もおジャ魔女どれみについて書こうと思います。今回は感謝祭でのライブについて。しかもたった1曲にフォーカスを絞る。
なので感謝祭を見てなくても曲を知ってれば「ふんふん、なるほどそういうことが言いたいのね」ってことは伝わると思います。
その曲とは「DANCE!おジャ魔女」です。
まず大前提として、ライブは全部よかったんですよ。おジャ魔女どれみの曲はオープニングだけでなく、エンディングや挿入歌に至るまで全て良くて。そういう意味では「もっと聞きたかったー」というのが本音ですが、限られた時間に代表曲である歴代オープニングとルピナスの子守唄をやってくれたのは完璧だったと思います。
ではなぜ「DANCE!おジャ魔女」なのかというと、ズバリ演出です。というのもですね、いつかどこかに書いておきたいと思ってることだったんですが、この「DANCE!おジャ魔女」のオープニングアニメーションを見たとき、強烈にインパクト残るシーンがあったんですよ。
※画像はYouTubeからお借りしました
それがこちらです。サビの2回目の「おジャ魔女登場〜ドッカーン!」のところです。世界各国の国旗に包まれて、おジャ魔女たちが空から降ってくるシーン。
これを見たとき、ぼくは「お、4期ではいよいよ世界が舞台になるのかな?」と思いました。
※DANCE!おジャ魔女は4期のオープニング曲
3期でアメリカ帰りの帰国子女であるももちゃんがおジャ魔女に加わって、英語を使うシーンなど、少し国際色が出てきたおジャ魔女どれみ。4期はさらに海外を描くシーンが増えてくるのかーと思いました。
ところが、4期を見てみると、待てど暮らせど海外にはいかない。単話でアメリカに行ったりはしたものの、変わらず美空町が舞台です。ぼくは思いました。
「この話の流れで、なぜあそこまで鮮烈に世界をイメージさせるオープニングアニメーションを入れたんだろう?」
おジャ魔女どれみを知れば知るほど、製作陣が「意味のないこと」をするとは思えません。オープニングアニメーションのサビであればなおのこと。
つまり、あの世界各国の国旗に包まれて、空から降ってくるおジャ魔女たちを描いたシーンにも必ず意味がある。
繰り返しますが、4期の内容に世界にステージを移すような流れはありません。となると、なぜこのシーンを製作陣は入れてきたのか?
そうなると、ストーリーから離れて考えてみる必要があります。そう、おジャ魔女どれみを語る上で欠かせないのが世相です。
おジャ魔女どれみという作品は、不登校だったり片親の家庭だったりと、世相をリアルに取り込んだテーマを扱う作品。なので、ぶっちゃけ時代が移り変わった今見ると、価値観が古いなって思うシーンもあったりします。けっこう攻めてるんですよ。
ということは、4期が放映された2002年の世界情勢を見れば、何かわかるのではないか…そう思ったときハッとしました。
おジャ魔女どれみ4期の放映が開始した2002年2月の世界情勢は、前年に起こった同時多発テロにより、世界情勢がものすごく不安定な時期だったのです。
ニュースではいつ戦争が始まってもおかしくない雰囲気で、非常に重々しい空気でした。
そんな時代にアニメを通じて当時の子供たちに伝えたかったこと。それが「世界平和」なのではないでしょうか。
公式LINEスタンプより
4期を見終わった後、こんなことを考えてましたが、あくまで個人的な推測の話。何の裏付けも確証もありません。
ただ、おジャ魔女どれみを通じて製作陣が当時の子供たちに愛情を持って接してたのは間違いなく、4期の放映当時の世界情勢を考えると、今子供たちに伝えるメッセージはなんだ?と考えたのだとしたら…
4期オープニングより
映像が待つ説得力は強烈です。ニュースで不安定な世界情勢をなんとなく耳にしてた子供たちに、「おジャ魔女たちは(国旗を通じて)世界と手を取り合ってるよ」という印象が残ると…それは20年たった今、もしかしたら本当に世界平和に貢献してるかもしれません。無意識レベルで。
ただ、これはあくまで想像でしかない。40代ではじめておジャ魔女どれみにハマったおっさんのただのチラシの裏の落書きです。
でも、感謝祭にこの落書きの線が少しだけハッキリする裏付けがあった。それがライブの演出です。
そう、「DANCE!おジャ魔女」で問題のシーンをMAHO堂のみなさんが歌ってるとき、演出で画面に世界各国の国旗が流れたのです!
おジャ魔女どれみプチ感謝祭より
…いや、ぼくは震えましたよ。
だってライブの演出ですよ、なくても成立する。けど、そこにアニメと同じ演出を入れてきたってことは…
これはもう意図がある、と考えたくなるのが大人ってもんです。
もしかしたら公式にあのシーンについて製作陣が意図を語ってるインタビューなどあって、ぼくが見つけれてないだけかもしれません。
ただ、少なくともぼくの娘(8歳の娘と一緒に見てます)はあのシーンを見て、世界を敵だとは思わないでしょうし、ぼく自身も世界平和について少しでも考えさせられるキッカケになってます。
そんなことを考えさせられるおジャ魔女どれみ。考えすぎだと思いますか?
オープニングアニメでは、他にも勝手に「こういう意図じゃないか?」と考えてるシーンがたくさんあります。また機会があればここに書きますのでまた読みにきてくださいね。
いやぁ、おジャ魔女どれみについてひたすら書くのは楽しいぞ!
おジャ魔女どれみを子育てに利用するの巻
8歳の娘がいます。
その娘と夜、寝る前におジャ魔女どれみを1話選んで見て、感想を語り合って寝るという壮大なプロジェクトをおこなっております。
これにより、親子のコミュニケーションはもちろん、どれみちゃんのやさしさから道徳を学べる。さらにはぼく自身も楽しいという最強の子育てを手に入れたわけです。
元々は、3年くらい前。まだAmazonプライムとかネット配信が使いこなせてなかった我が家。娘の楽しみは毎週TSUTAYAで DVDを借りることでした。
ぼくは割と自分の人生に満足していて、振り返ってみてもそんなに後悔することはありません。(もちろん少しはあるよ)
ただ、ひとつだけ悔やんでも悔やみきれないことがあります。そう、あのとき娘はTSUTAYAで毎週おジャ魔女どれみを借りていたのです。
なんということでしょう。そのとき、興味なかったぼくは、娘が夢中でおジャ魔女どれみを見てたのをスルーしてたのです。(なんてこった)
あれから3年…映画"魔女見習いをさがして"をキッカケにおジャ魔女どれみにハマったぼくは、なぜあのとき、一緒に見てなかったんだろうと死ぬほど後悔しました。女児向けアニメと侮ってはいけなかった。
娘とおジャ魔女どれみについて語りたい!
ところが、もう3年も前に全部見てる上に、今はYouTubeにハマってるので「おジャ魔女どれみ見ようよ」と言ってもなかなか首を縦にふってくれません。チクショウ。
そこで、ぼくはまずおジャ魔女どれみのポスターを買って部屋に飾りました。"魔女見習いをさがして"のやつ。
絵を描くのが好きな娘なので「この絵、いいよなーお父さんすごい好きなんだ」って言ってみると「わかるよ、だって線がすごくやさしいもん!きっと大切に描いたんだと思う!」とか言ってきた(マジ)ので、その感受性にまず驚く。
さらには、娘がマインクラフトをやってる横でわざとらしくおジャ魔女どれみを見たりしてみる。で、少しづつ「このあとどうなるんかな?」とか声をかけたりしてみる。
間違っても強制性を発揮してはいけない。そうすると、おジャ魔女どれみを見ることが"義務"になってしまう。
目的はあくまで「一緒に楽しくおジャ魔女どれみを見て語り合うこと」であり「義務的で形式的な時間」を過ごすことではない。
あくまで"ゆるやか"に。ゆっくりと勧める。そんなことを2週間くらいやってると、そもそもの作品が持ってる魅力がハンパないので、娘も「もう一度見ようかな」という気持ちになってきた模様。
そこで「じゃあ寝る前に1話づつ見ることにしようよ」とオファーを出す。「うん、いいよ」と返ってくる返事。
…勝った
こうして僕は仕事が早く終わって娘が寝る前に家に帰れた日は、おジャ魔女どれみを1話選んで感想を語り合う時間を手にしたわけです。
どの話を見るかは、その日の気分で決めてます。順番に見てるわけじゃなく、ランダム。娘はあいちゃん推しですが、全キャラクター好き。なので、今日は誰の気分?と聞いて、返ってきたキャラクターが中心の話を選んだり、時には「今、この話見せたいな」というような選び方をしてます。バレンタインの週にはづきちゃんと矢田くんの話を選んだりって感じの。これが本当に楽しい。
早く家に帰れるのが、週に1回あるかないか、あとは週末の休みくらいなので、ペース的にはすごくゆっくりです。でも、そのぶんいつまでも終わらない感もあるので、しばらく楽しめるなぁと嬉しかったりします。
親子でおジャ魔女どれみを見るのは本当にいいですよ。大事なことがたくさん詰まってる。こうやっていろんな世代にいつまでも愛される作品であってほしい、と勝手に思ってます。
娘と寝る前におジャ魔女どれみを見るプロジェクト。今日ははづきちゃんの誕生日なんで「どれみとはづきの大げんか」を。「魔女見習いをさがして」でも使われたこの回。ケンカしても素直に仲直りできる子に育ってほしいね。そんな親の気持ちをよそにマジョリカのドライヤーのシーンで爆笑してました。 pic.twitter.com/AMY92plcaE
— わいざん|くっすんガレージMGR (@yzan_travel) 2021年2月14日
ちなみに、映画は予告編を見せたんだけど、ちょっとピンと来なかったみたいで一緒には行けませんでした。それもまたリアル。Blu-ray予約してるのでいつか一緒に見れたらいいなぁと企んでます(笑)
では、今日はこの辺で。
#どれみ感謝祭 感想|声優さんの実力を思い知った話
2021年2月7日。
おジャ魔女どれみ放送開始から22年ということで、「おジャ魔女どれみをさがして〜プチ感謝祭〜」がオンライン配信イベントとして開催されました。
公式YouTubeからお借りしました
オリジナル朗読劇、トークショー、そしてライブと盛りだくさんの内容。ハッキリ言ってめちゃくちゃ楽しかったです。そして何より声優さんの持つ力に感動して震えました。
子どもの頃に好きなアニメはたくさんあったけど、声優さんを個別に考えたことが恥ずかしながらなかったので…考えてみれば当たり前の話なんですが、アニメのキャラって人間が声をあててるんですよね(当たり前すぎて何言ってんだ)。
アニメで見ていたおジャ魔女どれみのキャラクターの声で司会進行とかトークをされると、なんとも魔法を見ているようで不思議な感覚になりました。
そして朗読劇!これがクオリティ高すぎてビビった。声だけで脳内で絵が浮かぶほどの表現力!
僕はどちらかというと小説や漫画などのストーリーが好きなので、今回の朗読劇も「どんな話なのかな?」というところに期待してたんだと思います。というか朗読劇がどんなものかイメージできてなかった。まぁほんと失礼な話なんだけど許してください。
公式サイトからお借りしました
ところが配信が始まってキャラクターの声を自由自在に操る声優さんの力にビビり、「え?よく考えると22年経ってるんだよね?」という時の流れを完全に無視してる目の前の現実に腰が抜け、極め付けは朗読劇が始まるとアニメーションが無くてもキャラクターの表情まで浮かんでくるハンパない表現力に感動した。
なんで22年前の声が全く変わらず再現できるの?おかしくね?
…いや、おかしくない。これが声優という仕事、プロの仕事なんだ。声を創るという仕事を目の当たりにして、ビビりながらも本当に感動しました。いや、今さらで本当にごめんなさい。ニワカなんで許してください。
リアルタイムで見終わった後、アーカイブを何度も視聴したんだけど、朗読劇のところは映像無しの音だけで聴くと完全に世界観に浸れることに気づいてしまって。これ、収録じゃなくてライブでやってんだなぁと思うと、ますます意味がわからない。
ちょっとこれ正式に販売してほしいな、手元に置いておきたいなって思うわけですよ(運営の皆さま、ご一考よろしくお願いします)。
内容ももちろんおもしろかった!特に小学校卒業時のキャラクターに、声優さん自らが未来の自分からという設定で手紙を書くとか…おジャ魔女どれみのキャラクターがいかに愛されてるか?を感じることができました。
公式Twitterからお借りしました
どれみちゃんの手紙なんて子供っぽくて、一緒に見てた娘(アニメシリーズ配信でコンプリート済み)が「どれみちゃん全然成長してない」って爆笑してたのが印象的でした。千葉さんは完全にどれみちゃんとして生きてる人格もあるんだなぁと思いました。
リアル(声優さん)とファンタジー(キャラクター)の融合を見た感じ。声優さんへのリスペクトが相当高まりました。ライブもよかった!
⭐︎
そして書いておきたい感想がもうひとつ。
何かというとオープニングアニメーションです。今はYouTubeで公開されてるけど、これ配信終了後は見れなくなるんだろうか…(運営の皆さま、どうか円盤化をお願いします)
このオープニングアニメーションがめちゃくちゃよかった!特に「魔女見習いをさがして」が流れた瞬間になんとも言えない感動が押し寄せてきて…
この感動はなんだ?と思って、見終わった後少し考えてたんですが、わかったことがあるんです。それが先ほどの声優さんの感想でも触れたところ。そうか、リアルとファンタジーの融合なんだ!これを感じました。
オープニングアニメーションはこんな構成でした。
登場キャストの紹介から始まり、各シーズンの名場面が流れていく。無印から始まり、♯、も〜っと!、ドッカ〜ン!、そしてOVAのナイショへ。どのカットも印象深いシーンなので懐かしいなぁと思いながら(こないだ見たばかりのド新規のくせに)見ていると、ここで「魔女見習いをさがして」が流れる。
この瞬間、ファンタジーで描かれてた世界がリアルにつながった感じがしたんですね。どれみちゃんの世界と、魔女見習いをさがしての世界が同じ線状にあるんだなぁと。
ご存知、魔女見習いをさがしてではどれみちゃんたちは「子どもの頃に好きだったアニメ」として実在しないものとして描かれてます。元々、どれみちゃんを知らなかった僕にはこの設定は入りやすくておもしろかったんだけど、この設定を発表したとき、既存ファンからは少なからず賛否あったことを後から知りました。
これ、無理もないよなぁと思うんですよね。もちろん、どんな話でも喜んで受け入れるファンがほとんどだと思いますが、一方でこの設定を受け入れ難いと感じた人の気持ちもわかる。だって、この設定って「どれみちゃんたちはアニメのキャラクターで、この世界には存在しない」ということを受け入れないといけないわけじゃないですか。それって結構厳しいですよね。おジャ魔女は本当にいつも厳しい。
正当な続編だからこそ、その世界でどれみちゃんたちが「テレビの中」の存在として描かれてるのって、まるで子どもの頃に夢中になった世界の否定と感じてもおかしくないと思うんですよ。「いや、公式がアニメだよーって認めるんかーい!」ってツッコミも入れてしまいそうです。
でも、映画を見てみると製作陣の伝えたいことはそんな浅いもんじゃなかった。僕はあの形をとることで、逆にどれみちゃんたちはいつもあなたの側にいるよって見方ができると思ったんです。
公式YouTubeからお借りしました
ファンタジーの世界は楽しいけど、いつまでも浸ってるわけにはいかなくて。あの頃、どれみちゃんを見ていた子どもたちは、大人になってそれぞれの今を生きている。大変なこともあるし、つまづくこともある。そこに向けて伝えたいのは、ファンタジーの世界に浸らせてあげることじゃなくて、あなたが今がんばってる現実には、いつもどれみちゃんたちが側で見守ってるよってことだったんじゃないかと。
どれみちゃんたちを主役として描かないことで、逆にいつも存在を感じれる物語になってるわけです。
今回のオープニングで同一線状にアニメのどれみシリーズと映画魔女見習いをさがしてが並べられたことで、それを強く感じることができました。ファンタジーがあるから、リアルをがんばれるんだよという優しいメッセージに見えました。
公式YouTubeからお借りしました
まぁこれは僕が勝手に思ってるだけかもしれないけど、そんなことを考えながらオープニングを見てると、製作陣の深い愛情を感じてしまって。そんなおジャ魔女どれみという作品が本当に好きです。
ファンタジーとリアルの融合。
声優さんとキャラクターの関係や、オープニングアニメーションからこれを強く感じました。
まだまだ書きたいことは沢山ある(エピソード10選の話とか朗読劇自体の感想とか)けど、まずは全体の感想として。
配信アーカイブは本日までなので、もし間に合う人いたら見てみることをおすすめします。
「#おジャ魔女どれみ をさがして~プチ感謝祭~」たくさんの参加ありがとうございました❣️
— 【公式】おジャ魔女どれみ20周年 (@Doremi_staff) 2021年2月7日
いつかまたマスクなしでもイベントが出来ますよう✨最後に一瞬だけマスクを外して記念撮影📸
※チケット販売&アーカイブ視聴2/14(日)まで❣️
👉https://t.co/KuOtHkpMyB#どれみ感謝祭 pic.twitter.com/SeP5n4igIv
最後に。
今日は2月14日。はづきちゃん誕生日おめでとう!
おジャ魔女どれみ22周年おめでとう、ありがとう
2021年2月7日。
おジャ魔女どれみ第一話が放送されたのが1999年2月7日。つまり、今日が22周年。おめでとう、そしてありがとう!どうしてもお礼が言いたくて、記念すべきこの日に記事を書いてます。
こう書くとまるで長年のファンのようですが、実はおジャ魔女どれみにハマったのは最近のこと。でも、今では誰にも負けないくらいおジャ魔女どれみのことを日々考えてます。今回は、僕がおジャ魔女どれみを好きになるまでの経緯を書こうと思います。
おジャ魔女どれみの放映が始まった1999年2月。僕は19歳の大学2年生でした。残念ながら、当時おジャ魔女どれみの放映は見てません。名前と主題歌のおジャ魔女カーニバルは知っていたけど、女児向けアニメでしょってくらいの認識で、自分には関係ない世界だと思ってました。それがこうして22周年の今日を感慨深く迎え、さらにはブログまで書いてるのだから人生わからないもんですよねぇ。
僕がおジャ魔女どれみに触れたのは、2020年11月13日。意外と最近の話なんですよ。勘のいい人はこの日がなんの日か気づくと思う。そう、映画「魔女見習いをさがして」の公開日なんですよね。
全くもって必要ない情報なんだけど、これを書いている僕は映画が苦手だったりします。映画だけでなく映像全般が苦手。黙って映像を見ているということにどうしても向いてなくて。ドラマだろうと、アニメだろうと、ジッと見ているだけのことができないんですよ。
映画なんてその最たるモノで、余程の覚悟がないと見に行くタイプではないわけです。映像文化をディスってるわけではなく、そういう性格なんだと、どうか捉えてほしい。
そんな僕が映画「魔女見習いをさがして」を公開日に見に行ったんです。けっこーすごいことなんですが。これをキッカケにおジャ魔女どれみを知って、なくてはならないモノになってしまうというね。人生を変えるほど好きなモノは、徐々にではなく一気にやってくるものだなーとしみじみ思ってます。
映画を見ようと思ったキッカケなんですが、それは応援しているアイドルグループ(を完全に超えた存在だと思ってる)ももいろクローバーZのリーダー、百田夏菜子ちゃんが声優として起用されたからなんですね。
いや、これはあくまでキッカケで、決定打ではないんだよな…前述したように、僕は映像が苦手なわけで。ももクロは好きだけど、これだけで行こうって気にはなかなかなれない。
喜ぶ夏菜子ちゃんを見ると、嬉しくはあるものの…映画に行こうとまではならなかったんですね。まぁ無理もない。
ただ、本当に夏菜子ちゃんが嬉しそうだったのと、インタビュー記事を読んでるとあまりに嬉しそうなのが気になってきて、YouTubeに上がってた映画の予告編を見てみたんですね。そこに出てきたひとつのコピーに心を奪われたんですよ。
「この出会いが教えてくれた、好きでつながる喜び」
それがこれ。これ、すごくいいなって思った。刺さった。
あらゆる情報がインターネットに溢れた今の時代、SNSの発達で人とのつながりは加速度的に増えていきました。
このインターネットの世界をどう使うか?はまさに現代人のキーだと思ってます。つながり、これは人それぞれだと思うんですが、仕事にSNSを使ってる僕は、どこかメリットデメリットを考えた発信だったり、有益かどうか?を考えなければならない環境にいるなぁと客観的に見て思うんですね。仕事でSNSをやってる面がかなりあるという。
でも、人生を豊かにするのは「好きなこと」だと思っていて、「好きでつながる」というのは大事なことだと思ってます。
忙しい日常を彩ってくれるし、それがあるからがんばれるんだと思ったりしてます。いや、思ってるというか、かなり大事な価値観として上位に置いてるレベルの。
この映画の予告編は、そんな僕の琴線に触れたわけですよ。この予告編好きだなぁと、何度も見てると、おジャ魔女どれみ自体が気になってきて、映画のことを調べ始めたって流れです。
そこで意外な事実を知ってしまった。
どうやらこの映画「魔女見習いをさがして」はおジャ魔女どれみの正当な続編でありながらも、映画に主人公であるどれみちゃん達は(メインで)出てこないというのだ!そんなのあるのーーーーって驚き。
どうやら、おジャ魔女どれみを見ていた子ども達が、大人になって「人生につまずいたワケあり女子」として出会う話らしい。
「なにこれ、おもしろい…!」
予告編でうたわれてた「好きでつながる喜び」とはこういうことかーーー。
これは見てみたい。見なければならない…そう思って、重い腰を上げて映画を観ることに決めました。11月13日を楽しみに待ち、1番早い時間帯を調べてみにいったというわけです。もちろん、こんなのは初めての体験。映画館にひとりで行ったのが初めてだと思う。
そして11月13日。映画を見た。そして泣いた。
おジャ魔女どれみに思い入れがあるわけではないのに、なぜか伝わってきたんです。
僕にも子どもの頃に好きだったモノがあって、それを重ねながら見てしまって。子どもの頃に夢中になったモノはどれも大切で、今の行動や美学に大きな影響を与えてるんですね。
この子たちはそれがおジャ魔女どれみなんだなーって思うと、この映画のメッセージと製作陣の愛情を感じて、感情を大きく揺さぶられたんです。
ただ、どうしても気になることがあったんですよ。
それが映画のラストシーンで、3人の思いが「どれみちゃんにお礼が言いたい」だったこと。
もちろん、言いたいことはわかります。好きだったアニメを通じて知り合った3人だから、そりゃ主人公にお礼を言いたくなるのは当然だろうって。
でも、何というか…憧れの存在に「好きでした!」というのではなく、友達に「ありがとう」って言いたいって感じに見えたんですね。ここに違和感があって。まぁこの違和感はアニメを観終わった今では完全に払拭されてるんですけど。
この3人の気持ちが知りたくて、僕はアニメのおジャ魔女どれみを見てみたいと思ったんです。で、調べてみるとなかなかボリュームがあるぞ、と。
4年にもわたる放映期間で全201話。さらには劇場版が2話に、放映終了後にOVAが13話出てるという。さらには小説版もあるとか。これはヤバい。
なかなかのボリュームだけど、映画に魅せられた僕はもっと知りたいと思ってしまってるので覚悟を決めたわけです。
映画はおジャ魔女どれみを知らなくても楽しめたけど、知ればもっと大切なことを感じれるんじゃないか?と。
こうして僕はおジャ魔女どれみを全エピソード(小説はまだ読んでる途中)観ました。そしてどハマりした。観終わって言葉にならない感情でいっぱいになってる日々を送ってます。僕がおジャ魔女どれみにハマった経緯はこんな感じです。
22周年のこの日に、ファンとしてはわずか3ヶ月にも満たない僕ですが、感じたことを書き綴っていきたいとブログを書くことにしました。
今までも、自分のnoteにおジャ魔女どれみに関する記事を書いたりはしてるんです。ただ、そっちは心のどこかで「誰が読んでもわかるように」という意識で書いてしまってるんですね。具体的な感想までは書けてない。
★40のおっさんだけど、映画「魔女見習いをさがして」が良すぎて泣いた
https://note.com/yzan/n/nf04c9cea42b0
★クラスメイト全員を描くモブキャラのいない世界|おジャ魔女どれみのここがすごい
https://note.com/yzan/n/n4cbadbe7b0fa
これからもこんな感じの、おジャ魔女どれみを知らない人に向けて抽象化したおジャ魔女どれみの記事は書いていくつもりです。ただ、それとは別にファンに向けて、ただ好きなところを気持ち悪いくらいのめり込んで書いていく場がほしいなーと。
そう思って、このブログを書くことにしました。駆け足だったけど、どんな人が書いてるか伝わったでしょうか?
書き終わって16時30分。
今日はこの後、オンライン配信で22周年の感謝祭があります。当然チケットも買ってる。楽しみすぎる。
あと30分か…というわけで今日はここまで。これからもおジャ魔女どれみに関する記事を書いてくので、どれみ好きな人は仲良くしてくださいね。では最後まで読んでくれてありがとう。